私の最大の悩み、統合失調症と言う病気になってみて。

この、はてなブログは、宣伝用に開設していたものですが、私の病気の辛さ、分かり合えない発達障害のある息子との事ネットで公表する事にしました。

私は、健康オタクです。何故かと言えば、病気のある事で、苦しんだり、諦めなければ行けない事がたくさんあったからです。

だから、食事、睡眠、健康を何より気をつけて、メタボなどの内科的な物くらいなら、病気にならないように必死になって頑張ってます。私の一番の辛い思いしてる病気は、心の病気であり、統合失調症と言って、ストレスがかかったり、無理して頑張りすぎると病状が悪化してしまって、幻覚や幻聴現れて、何度も警察に行って、家に勝手に入って物を取られたとか言って何度も話に行ったり、市役所や保健所や児童相談所などに変なメール入れ続けたり、不可解な態度になるのです、脳の働きも悪くなり、料理や家のちょっとした掃除も生理整頓出来なくなります。病気が酷くなって、精神科の重傷病棟で鍵の掛けられたとこで苦しい思いをしました。今の生活は、そのような病状が酷くならないように生きて行く事が私の中心でもあります。宿毛市聖ヶ丘病院の主治医や訪問看護の人やカウンセリングの人達が何より私の支えでもあります。

私は生まれ育った土佐清水市に息子を離婚して連れて帰る事が一番だと思い、発達障害のある息子を、3年生まで行かした宿毛市の橋上小学校から土佐清水市に戻って来ましたが、帰ってからも、私のこの病気、統合失調症は容赦なく私を苦しめました、元の旦那は息子を絶対やらん!と言って、離婚調停でももめました、発達障害について全く理解の無かった、元旦那の元へ行かす事に抵抗もあり、我が子と離れたくないと思いました、中には私が時々病気が出て何も出来なくなるので反対した人も色々といました。だから、必死で頑張りました。えぶりでぃキッチン、資格を生かした清水保育園の臨時、フィリピンママのいるバニーと言うスナック、でも、本当に病気は容赦なくやってきて私を打ちのめして傷めつけて、私の大事な物を奪って行きました。

息子が17歳の時、私は病気が酷くなり、幻覚や幻聴を抑える薬がきつくて、もがき苦しんでる時に、息子は暴れたり、暴力するようになったり、私が具合の悪いのに容赦なく友達をたくさん連れて来て全く言う事を聞きませんでした。さすがに私も辛くてたまらなくなって、息子の入院を要望してましたが、なかなか入院にはなりませんでしたが、市役所や警察などと総合をして、医療保護入院になりました。その頃の事を思い出すだけで辛くて苦しい思い出です。

暴力が酷かったので、一緒に住む事はさすがに怖くて、入院している間に、施設に行くと言う話もしていましたが、父親の方に話をすると、施設は駄目だから自分で見るとの事でそのまま父親の所に行きましたが、その後又地獄が始まりました。

清水に帰りたい事と、入院させられた事に納得できず、清水の市役所や教育委員会などに電話をじゃんじゃん鳴らしたり、帰りたい一方で私の病気の事は理解してもらえず、長くて辛い7年でした。私は、どうしても、この統合失調症をかかえてる限りは息子とは暮らせません、だいぶ落ち着いてきて、帰る事を言わなくなってましたが、今年の5月に又帰りたい話になり、私は又著しく具合が悪くなり、3ケ月聖ヶ丘病院に入院していました。

ありがたい事に、私の病状を理解してくれた清水分庁舎の警察の方も動いてくれて、息子が現れた時に出向いてくれて助けてくれました。

親子でも、こんなに距離があり、仲良く暮らせない事もあるのです。

息子は又、土佐清水市に帰って暮らしたい気持ちあるので、土佐清水市の人達と話を進めているようです、でも私は一緒に暮らせません、これを見た方は、どうして家族なのに、そっけないとか、親子のつながりの無い事をするのかと不思議に思うかもしれませんが、私が病気がある限り、この病気で苦しまないためなのです。

私は息子と過ごした土佐清水市で苦しくて深くて辛い思いの二人の生活だった、ためかあまりにもこの土地で息子を迎え入れる事は出来ません。私の唯一の願は、高知市窪川宿毛で食事したり逢ったりしたいと願っています。